チョコレート・シンドローム

1時間SSに参加しました!

テーマは「スナック菓子」「チョコレート」「カプチーノ」「紅茶」。
チョコレートを選んでみました。
あずちはです。
千早が悪い子です。









あずささんが泣いていた。
厳密には私はその現場を見ていた訳ではないのだが、
営業から帰って来たあずささんの目元が赤かったから、まず間違いないと思う。
「…おかえりなさい」
返事がしばらくなかった。
数拍の間の後、ようやく気づいてあずささんが答えた。
「ただいま、千早ちゃん」
上げた顔はどことなく血の気が失せているように見える。
どうしたのかと聞くのは野暮なので敢えて聞かないようにした。
私は気にしないふりをしてコーヒーを淹れに給湯室に行った。
今日はいつもより丁寧に淹れなくちゃ。
チョコレートも必要かしら。
手早く用意をしてお盆に載せる。
音もなくソファに腰掛けていたあずささんの前に置いた。
「ありがとう」
あずささんはようやく少しだけ笑った。
目は変わらず、深い悲しみを湛えていたけれど。
いいえ、と私は返す。
退散したほうがいいのかと考えたが、レッスンの時間まで事務所で待機していた方がいいのだろうと思い、
仕方なくあずささんの隣に腰掛けた。
コーヒーを啜っていたあずささんが、ふと呟いた。
「千早ちゃん…つまらないだろうけど、私の話を聞いてもらってもいい?」
思わずあずささんの顔を見た。
顔色を窺うと幾分良くなった気がする。
少しは落ち着いたのだろうか。
「いいんですか?」
私の問いにあずささんは儚げに笑った。
「誰かに話したら、少しはすっきりするかもしれないから」






チョコレートを摘まみながら、あずささんは話しだした。
「私ね、プロデューサーさんに振られちゃったの」
あっさりとした口調だった。
その口調とは裏腹に声が小刻みに震えている。
努めて明るく話そうとしているのが分かって、心が痛かった。
「『あずささんのことは大切だけど、そういう関係にはなれない』って…。
プロデューサーさんは優しすぎるわ。
どうせならもっと強い言葉で言ってくれた方が良かったのに」
いかにもプロデューサーが言いそうなことだ、と独り思った。
その言葉が女性にどれだけの傷をつけるのか分かっていない。
あるいは、もう他の女の子に手を出しているのだろうか。
どちらにせよ罪深い人だ。
あずささんを泣かせるなんて。
こんなに優しい人を泣かせるなんて。



――何よりも私が欲している言葉だと、知りもしない癖に。



でも
自分の左手を、あずささんの右手に重ねる。
俯き気味の顔を覗き込む。
「辛かったんですね」
あずささんが息を呑む。


あずささんが失恋をしたということは
私にもチャンスがあるということよね。
人が弱っているところに漬け込むだなんて、最低な真似だと分かっているけれど
私はあなたが欲しいんです、あずささん。


緩慢な動作で背中に手を回す。
身体を引き寄せて、抱きしめた。
あずささんの匂いがする。
「いいんです。あずささんは何も悪くないんですよ」
こんな台詞が出て来るなんて、自分でもびっくり。
「っ…千早ちゃん……」
声で、あずささんが再び涙を流し始めたのが分かった。
次いで、涙を堪える気配と鼻をすする音。
私よりも大きいはずの身体が一回り小さく感じられた。
ごめんなさい、あずささん。
でも、これで分かりましたか?
私はあなたが想っている人よりも
あなたのことを愛しているんですよ。


泣き止みかけたところでそっとあずささんを引き離す。
涙が残った彼女の顔は、呼吸を忘れるほどに美しかった。
「あずささん…」
縋るようなその顔に、私はそっと唇を寄せていった。






ずっとずっと、甘い夢を見させてあげます。
それが夢だと気づかないように。




「(罪悪感が無いわけじゃない。でも)」




掌に乗せたチョコレートのように
私の体温で
ゆっくり、ゆっくりと
溶けてしまえばいい。








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