愛しのミルキーウェイ

以前書いていたはるまこの続きになります!
↓このシリーズです。
さよならレグルス - 37度2分
きみ色流れ星 - 37度2分


一応これで完結…のはず。
やたらと長いです。







キーンコーン……
6時限目終了のチャイムが鳴り響く。
生徒たちは緩やかに下校の準備を始める。
ボクも鞄を机の上に上げた。
「真」
名前を呼ばれて顔を上げてみると、見知った幼馴染だった。
「ああ、千早」
「今日は部活でしょう?早く行きましょう」
「ちょっと急かさないでよ。まだ時間あるんだから」
ボクは慌てて鞄にノートや筆箱をしまう。
その拍子に筆箱が机から落ち、バラバラと中身が床に零れた。
「うわわっ」
ペンを拾い上げるのを、千早は呆れたという風な顔で手伝った。
その優しさに苦笑してしまう。
「ごめんごめん」
「別にいいわよ」
ふと千早が呟く。
「春香、今日も来ないのかしら」
「―――…」
ペンを拾う手が、止まった。




春香の口から、東京へ出るつもりだと告げられたあの日。
あれからもう二ヶ月が経とうとしている。
春香は部室に姿を現さなくなった。
火曜日と木曜日の週二回。
部室にある机の左の手前の椅子にいつも座っていた春香。
その姿が消えてしまってから、部室に行くたびにボクは激しい違和感を覚えるようになった。
勿論、部室で会えなくなったからと言って全く彼女を見ないというわけではない。
同じ学校で同じ学年なのだ。
廊下ですれ違うことだってある。
でもそういう時、ボクに気付いた春香は俯き加減で横を通り過ぎるだけだ。
話しかけられる雰囲気ではない。


ペンを手渡しながら千早はなおも聞く。
「真……春香と揉めたんでしょう」
「……」
流石に鋭い。
千早はきっと随分前から分かっていたのだろう。
ボクの恋心にも気づくくらいだから。
黙っていてくれたのだ。
ボクと春香のことを考えてくれて、察していてくれた。
しかし今、その沈黙を破るということは
「このままでいいの?」
覗き込むように僕の目を見てくる。
まっすぐな目。
うやむやで交わせない目。
見るに耐えかねたのだ。
ボクたち二人のこの関係を。
千早の手にあるペンを受け取りながら、ボクは小さく答えた。
「いいわけ、ないよ」
自然と手に力がこもってしまう。
「嫌だよ。今のギスギスした関係も、春香が遠くに行ってしまうことも」
「ならどうして…」
問い詰める千早の目から視線を外した。
そんな目で見られると、身体が痛い。
「駄目なんだ。春香が決めたことだよ。ボクが口出ししていいことじゃない」
春香だって苦しんでいた。
悩んで悩んで、それでも出した結論だ。
ボクに出来るのはその決心が揺らがないようにするだけ。
それだけだ。
「ボクのせいで、春香を困らせたくない」
ふう、と
千早の口からため息が漏れた。
そしてまた、ボクと視線を合わせる。
「困らせればいいじゃない」
「えっ…」
たじろぐボクに千早はまくしたてる。
「真、あなたはいつもそうよ。他人のため他人のためって、自分のことを考えていない。
わがままを言ってはいけないと思ってる。でもそうじゃないでしょう?」
その剣幕にボクはようやく気が付く。
もしかして千早は…怒っているのか?
ボクに、いや、ボクたちに?
「本当に春香が好きなら、どうしてでも引きとめるべきよ。
それができないの?」
中学の時から、ボクたちとずっと一緒にいた千早。
天文、歌とジャンルは違えど、それぞれの夢中になるものを互いに応援しあってきた。
でも今
千早は夢よりも関係を大事にしろと言ってくれている。
自分の夢を何よりも大切に考えてきた彼女が。
「(千早、変わったね)」
無論夢をないがしろにしろとは言っていない。
でもボクらを見て、こんな関係が続くのは耐えられないと思ったのだろう。
誰よりもボクらを見てきた千早だから
信用できる。
「千早」
「何?」
「ボクは、春香が好きなんだ」
「知ってるわ」
言葉にするのは初めてだ。
今更実感が沸いてくる。
ボクは春香が好き。
「そんなボクが春香を困らせてもいいって…千早は思うんだよね?」
「ええ、そうよ」
「そっか」
ペンをすべて筆箱にしまい、鞄のジッパーを締める。
まだ迷いがあった。
春香を諦めきれなかった。
彼女のおかげだ。
「ありがとう、千早」
キミが親友で本当に良かった。
「どういたしまして」
頑張って、と微笑みが言っていた。








生徒用の下駄箱の前。
生徒なら帰る時に必ず通る場所だ。
なら、遅かれ早かれ会える。
彼女には。
階段を誰かが降りる音がする。
人数は一人。
見当はつく。
階段を下り、左の角を曲がり
そこにいた真を目視した瞬間、その人物はたじろいだ。
赤いリボンを揺らした春香だった。
「や、春香」
「ま…真…」
突然のことに春香は目に見えてうろたえていた。
春香の顔をまともに見るのは久しぶりな気がする。
やっと会えた。
いや、会えて当然だ。
待ち伏せしていたのだから。
「今週の日曜日」
「え?」
「空いてる?もし良かったら、夕方に隣町の天文台のふもとに来てほしいんだ」
春香の瞳孔が大きく揺らぐ。
やはり状況が飲み込めていないみたいだ。
少々強引だけど、ここは踏み切らないと。
「待ってるから」
春香の目を見て告げた。
でも春香は無言のまま。
行く気はないのかもしれない。
返答がないのでボクはその場を去った。
春香の視線を背中に感じた気がした。




=====





帰り道、私は一人で歩きながら思った。
どうして?
どうして今なの?
真はいつもそうだ。
タイミングがいいのか悪いのか分からない。
私が、先に真を捕まえようと思っていたのに。
手の中にある紙に、きっと真は気付いていない。
いっそ気づいてくれたらこちらも楽だったかもしれない。
ずっと握りしていて少し皺の入った紙を、そっと開いた。






日曜日。
太陽が山の向こうへ隠れそうな頃に、私は集合場所に着いた。
青い草が生い茂っている、自然のままの天文台
吹く風は少しだけ乱暴だった。
真はもうそこにいた。
望遠鏡が入っているのであろう白いリュックを背負っていた。
私の姿を見るといつもと変わらない笑顔を見せる。
「来てくれると思ってた」
その言葉が少しだけ、胸に刺さった。
「行こうか」
「…うん」
私たちはそうして、久々の木の階段を上り始めた。



展望施設の横のいつもの芝生。
落ちかけていた夕日はすぐに山の向こうに消え、徐々に星たちが見え始めている。
私たちは地べたに座り込んだ。
雑草がくまなく生えているから汚れたりはしない。
いつもなら真っ先に望遠鏡の組み立てをするはずの真は、地面に座ったまま藤色の空を眺めていた。
「あのね、真」
声が震えているかもしれない。
「どうしたの?」
「私がここに来たのはね…真が誘ってくれたからって言うのもあるけど、ちゃんと理由があるの」
そう言ってバッグから二つ折りの紙を取り出した。
「それ…もしかして」
真が探りを入れるように窺う。
聞きなれた声が耳に響く。
「退部届?」
こくり、と私は頷いた。
下を向いた拍子に目に溜まった水分が落ちそうになったけど何とか堪えた。
「受験もあるしさ…早めの引退ってことでいいかな?」
真に事情を話してから部室から足が遠のいていた。
このままじゃ天文部に居場所がなくなる。
ならいっそ退部してしまおう。
そんな考えに至った。
「退部届には部長のサインがいるから、お願い」
紙を握る右手を差し出した。
真は無言のまま。
私もだ。
重い空気に押しつぶされそうになる。
沈黙の後、不意に真は私から視線を逸らして空を見上げた。
「綺麗だよね、星。春香と見るのは久しぶりだな」
「…?」
つられて私も見上げる。
季節が巡り夜空に散らばる星も変わっている。
しかし、真はどういうつもりだろう。
話を逸らす気なのだろうか。
「綺麗で鮮やかで…ずっと見ていたくなる」
「えっと…真?」
彼女の言わんとしていることが良く分からなくて、私は恐る恐る話しかける。
真は私へと視線を戻した。
いつになく真剣な光が目に宿っていた。
「受け取らないよ、その紙は」
「えっ…」
「行かないで、春香」
「な、何で…真はいつだって、私のことを応援してくれて…」
そうだ、真はいつも優しい。
昔から私を悩ませるようなことは絶対にしなかった。
なのに何で今更?
「ごめんね春香。でもボクのわがままを聞いて。聞くだけでいいんだ」
私は硬直してしまった。
こんな強引な真は初めて見る…。
「退部なんてして欲しくない。春香のいない天文部なんて…
どんなに綺麗な星空も、春香がいないとボクにとっては意味がないんだよ」
思考が、一瞬途切れた。
ねえ真、それは
――期待していいってことなの?
その答えは、すぐに追って来た。
「好きだ。春香のことが」
じわりと
一気に真の輪郭が滲んだ。
真だけじゃなく、背景も、私の視界の何もかもが。
次いでつう、と私の頬を生温かい何かが伝った。
「は、春香?」
真の慌てたような声で、私は自分が泣いていることを自覚した。
「ち、違うの。これはね、その…」
手の甲で頬を拭う。
溢れる涙とともに、想いを口にする。
「嬉しかったの。私も、私も真のこと、好きだから」
今なら言える。
怖くないよ。
あなたが先に勇気を出してくれたから。
瞬間、ぐいっと体が前に引き寄せられた。
すっぽりと温かいものに包まれる。
すぐ横から息遣いが聞こえる。
あ、私…抱きしめられたんだ。
真に…。
「どこにも行かないでよ、春香。ボクのそばにいて」
いつもの真の優しい声。
いや、普段よりもずっと優しい声で、私に囁いた。
また鼻の奥が痛むのを感じた。
私もホントはね
真と一緒にいたかったの。
天文学を学ぶっていう夢よりも、ずっと強く…
「は、い……っ」
声を振り絞ったおかげで、また私の目尻から涙が零れた。
涙で前が見えないはずなのに
真の肩越しに見上げた夜空の煌めきは、何故かはっきりと見えた。




落ち着いた私たちは、いつも通りの天体観測を始めることにした。
いつも通り真は望遠鏡を組み立て、いつも通りわたしはそれを横で眺める。
「綺麗だよねえ…何だか久しぶりに見る気がする」
「そうだね、私も」
不意に真が真剣な顔になる。
「春香」
「なあに?」
「その…東京行くっていう話、さ」
真の頬の筋肉が強張っている。
緊張しているようだ。
それとは裏腹に、私はあっさりと答えた。
「ああ、あれ?あれね、やっぱりやめようと思うの」
「ええ?」
真が間抜けな声を出す。
思わず笑いそうになったけど何とか堪えた。
まあ、真からしてみたらびっくりするだろうね。
「考えてみたら天文学って就職が難しそうだし、空ならいつでも見上げられるから、このまま趣味でいいかなって。
東京って空気があまり良くないらしいから星も見えないって言うし」
星が見えないのなら、観測だってままならない。
そう思うと、東京まで行くメリットはそうないような気がした。
あれほど悩んだのにね、と自分自身苦笑する。
「でも、いいの?」
「いいのいいの。それにね」
「真と同じ大学で勉強するっていうのも、全然悪くないし」
やっと真が安堵の表情を見せる。
「ありがとう」
唐突な感謝の言葉に、私は首を捻る。
「何が?」
「何となくだよ」
ふうん、と生返事を返したところで、私の脳がひらめいた。
思い出した。
はっきりさせておかなきゃならないこと。
「あ…ねえ、真」
「ん?」
「その…私たち両想いなわけだよね」
「う、うん」
ランプに照らされた真の顔が、ほんのり赤く色づく。
お互いにさっきのことを思い出したのか、急に空気がぎこちなくなる。
和やかな雰囲気はどこへやら。
「それでさ、まだ告白…されてないんだけど…」
「うん…そうだね」
そう言って、決意を固めたように真は私を見つめた。
まっすぐな目。
数年で身長も髪も伸びたけど、瞳は出会ってから少しも変わっていない。
私を惹きつけてやまない光。
スローモーションのような速さで、真の唇が動く。
「好きです、付き合ってください」
身体中の細胞が震える。
何年もずっと待っていた言葉だ。
私の答えは勿論
「はい」
そして、どちらともなく距離が近づく。
真が私の身体に手を回す。
私が真の胸元を掴む。
こんなに近い距離で真の顔を見るのは初めてだ。
そう思いながら、目を閉じる。
すぐに唇に触れる、柔らかなもの。
私は感動を通り越して恍惚の域に入っていた。
真と、キスしてる。
数秒の後に離れる身体。
名残惜しい気もしたけど、今はこれで十分。
間にじんわりとした空気がながれる。
「…ぷっ」
「…ふふっ」
今頃恥ずかしくなってきて、私たちは同時に噴き出して笑った。
二人でく芝生に寝転がる。
しっかりとお互いの手を組んで。
「これからもよろしくね」
「うん」
同時に視線を上に向けた。
夜空の星たちが笑い声を立てるかのように瞬いていた。




=====





「…で、結局、雨降って地固まるってわけなのね」
明くる日の天文部の部室。
ボクたちは昨日のことを、真っ先に千早に報告した。
聞き終わった彼女の言葉にボクは苦笑した。
「固まるまで時間はかかったけどね」
「でも私たちが仲直りしたのは千早ちゃんのおかげだよ。本当にありがとう」
隣の春香が律儀に頭を下げる。
春香のこういうきちんとしたところも魅力の一つだ。
千早はどうでもよさげに手を振る。
「私は手助けをしただけよ。それにしてもまさか付き合うとは思ってなかったわ」
「それはボクたちも同じだよ」
ね、と春香を見る。
恥ずかしそうにしながらもはにかんでくれる。
照れくさそうに白い歯を見せて。
うん、可愛い。
「それでね、千早ちゃん。私、真と一緒の大学受けることにしたんだ」
春香の発言が意外だったようで、千早は軽く目を見張る。
「いいの?春香なら頑張ればもっといいところ行けるんじゃないの」
千早、何かそれ、ボクの頭が弱いって言う風に聞こえるよ。
ボクの不満をよそに、花のような笑顔で春香が答える。
「いいの!真がいれば楽しいし、幸せだから」
「春香…」
何よりも嬉しい言葉に、自分の頬が熱くなるのを感じた。
ちらりとこちらを見た春香も、少し顔が赤い。
そんなボクたちを見てやれやれといった風に笑う千早。
「本当、あなたたちは仲がいいわね」
千早らしい祝福の言葉に、ボクと春香は同時に笑った。








あなたと共に夜空を眺める幸せを
この心で噛み締めています。