皆が知らないこんな日に

久々に一時間SS参加しました!

テーマは「八十八夜」「お嬢様」「母の日」「相談」。テーマアイドルは「水瀬伊織」「日高愛」。
「八十八夜」をチョイスしましたー。









5月2日。
今日が何の日か知らない人も多いのではないだろうか。
事務所の壁に掛けてあるカレンダーを眺めながら、千早は思う。
「ねえ、萩原さん」
「ふぇ?」
呼びかけに応えたのは、雑誌の取材のため待機していた雪歩。
彼女は知っているだろうか。
まあ、彼女にも少なからず関係のあることだ。
雪歩が座っている真向いのソファに千早も腰かける。
「今日が何の日か、分かる?」
途端にぱっと雪歩の顔が明るくなった。
こくこくと何度も小刻みに首を振る。
「うん、知ってるよ!八十八夜でしょう?」
にっこりと笑顔を見せる雪歩。
やはり、と千早もつられて微笑んだ。
お茶好きの彼女としては、今日この日はなくてはならない日なのだろう。
そう、5月2日は八十八夜。
立春を起点として数えて88日目の日だ。
八十八夜に摘んだ茶の葉は上等なものとされ、この日に茶を飲むと長生きになるともいわれる。
雪歩の両手に湯呑が握られているのも偶然ではないだろう。
「大きな行事ではないけど…でも、お茶飲みの中ではとても大事な日なんだよ」
「ええ、知ってるわ。心なしか、この時期に飲むお茶は美味しい気がするわね」
すると雪歩の眉が上げられた。
あれ、と吹き出しが付きそうな表情だ。
「千早ちゃんも緑茶飲むの?」
「いつもは紅茶なのだけど、最近は緑茶の魅力も分かってきたの」
「そうなんだ!じゃあ今度いいお茶っ葉持ってくるね!」
嬉しそうに何がいいかなあ…と考え出す雪歩の様子に思わず頬が緩む。
いつもは消極的でおどおどしている雪歩だがお茶のことになるととても活発になる。
彼女のファンの中にはもっと明るければいいのにと言う人がいるが、千早はこのままでいいと思う。
普段と好きなことをしている時のギャップが彼女のアイドルとしての魅力の一つだ。
そして直接接している相手も、そんな雪歩を微笑ましく思える。
心が温まるのだ。
湯呑の茶を啜りながら、雪歩は話を続ける。
「あと八十八夜って言えば…『茶摘み』の歌も有名だよね」
「ええ。学校で習ったわ。確か…」
す、と千早の息を吸う音。
消して大げさではなく、自然に呼吸をするように、歌い出す。
「♪夏も近づく八十八夜」
千早が歌いだしたのは、文部省認定の唱歌
小学校の時に音楽の授業で習ったのをうっすら覚えていた。
今はアイドルたちも出はからっていて、全力で歌わない限り迷惑にはならないのだが、
千早なりの配慮なのか彼女にしては少なめの声量だ。
少し冷たさを感じるくらい、どこまでも透き通る声。
「♪野にも山にも若葉が茂る」
今度は雪歩が声を通らせる。
千早とは対照的な甘くて深みのある声。
「♪あれに見えるは茶摘みじゃないか」
二人の声が重なり、一つに合わさる。
ユニットが違う雪歩と千早がデュエットするのは、実はこれが初めてだった。
魅力の違う二つの声がお互いを更に引き立てる。
こんなに相性が良かったのかと、二人とも内心驚いていた。
「♪茜襷に菅の笠…」
短い1番を歌い終えると、
「…ふっ」
「ふふふっ」
自然と二人から笑いが漏れた。
楽しいとも気持ちいいとも違う、何ともくすぐったい感情。
「まさかこんな形で萩原さんとデュエットできるとは思わなかったわ」
「私もだよ千早ちゃん。でも楽しかったよ」
「私も」





何でもないような日に
二人の女の子の絆は、少し強くなった。









文部省唱歌『茶摘み』
茶摘み - Wikipedia