さよならレグルス

前作『きみ色流れ星』の続編です。
やっぱり青春してます。












桜があらかた散り、代わりに緑の葉が芽吹き始めた頃。
ボクと春香が所属する天文部は気合の入れたポスターや入部体験のおかげか、
3人の新1年生と1人の新3年生を勧誘することができ、何とか廃部の危機を免れた。
4人の新入部員は近年で最多らしく、音無先生に少し過剰なほど誉められた。
ボクらはただ、天文部がなくなるのが嫌で必死だっただけだ。




「よく支えてきたわね」
目の前の少女は文庫本のページをめくりつつそう言った。
その言葉にボクは頭に疑問符を浮かべた。
新入部員唯一の3年生の如月千早
元々ボクらの友達だったから、勧誘したというより半強制的に入部させたといったほうが正しい。
まあ、彼女もコーラス部を辞めようかと思っていたところらしいから丁度良かったのかもしれない。
この日は1年生は行事があり遅れて部室に来るらしい。
春香は図書館で調べもののため遅刻。
「どういう意味?」
「去年の9月から今年の4月までは、春香と2人きりだったんでしょ?
部員が少人数だと活動内容が曖昧になって部自体が自然消滅するのも少なくないって聞いたけど」
なるほど、と合点がいった。
確かにその考えは一理ある。
去年は同じ流れで山岳部が廃部になったっけ。
「そうだね〜。不思議だよ」
春香もボクも、それまで何かを一生懸命やったことなんてあまりなかった。
それでも今ボクらはここにいる。
「ただ…夜空をみんなで見上げるっていう楽しみを失いたくなかったのかもね」
千早の口からため息が漏れた。
呆れるような響きではなかったから良しとしよう。
千早はいつだって人を馬鹿にするようなことはしない。
「『みんな』でいいの?」
「へ?」
「好きなんでしょ、春香のこと」
身体が瞬時に固まってしまった。
空いた口が塞がらないって、こういうことなのか。
千早はと言えば、いつもの涼しげな表情。
「…いつから気付いてたの?」
「1年の頃からよ。何年あなたたちと一緒にいると思ってるの?」
…うっわー恥ずかしい。
ばれてたことも恥ずかしいし、それを言われずに過ごしてきたことも恥ずかしい。
でも、そうなんだよな。
春香とは中学で知り合って、何度か同じクラスにもなった。
はっきり好きだって自覚したのはやっぱり、天文部に入ってからだ。
星を見上げる春香の澄んだ目が奇麗で。
虜になってしまった。
そんなことを思い返して、ぼうっとしていたら
「真」
千早に顔をのぞきこまれていた。
びっくりしすぎて椅子ごと後ずさってしまった。
ガリガリと耳障りな音が響く。
千早の眉が少し顰められた。
「そんなに驚くことないでしょ」
「い、いや、うんごめん。…ねえ、このこと春香には言ってないよね?」
「当たり前よ。真の了承なしじゃ言えないわ」
「良かった!じゃあこれからもナイショにしててくれる?」
顔の前で手を合わせてお願いする。
こういうのは自分のタイミングで言わないとね。
「あなたたち二人、似た者同士ね…」
「ん?何?」
「何でもないわ」
ポン、と文庫本が閉じられる。
端正な顔が改めてこちらを見つめてきた。
「そうそう。お節介かもしれないけど…あの話聞いた?」
「え?」






茜色の光が満ちる図書室。
運動部の掛け声が、どこか遠くに聞こえる。
部活が始まっている時間だから、目当ての人物はすぐに見つかった。
奥の本棚で化学系の資料を探していた。
棚の上段を見上げる横顔があどけない。
振り向いてくれないところをみるとどうやらこちらには気づいてないようだ。
「春香」
名前を呼ぶと、不思議そうな目線とぶつかった。
そしてその目が嬉しそうに細められる。
嬉しいの、かな。
「真っ」
「一年生帰ってきたし、部活始めるよ」
「ええっもうそんな時間?じゃあ急いで借りてくるね!」
なぜか春香は粟を食ったように動揺していた。
あれだけ悩んでいたのに、棚の分厚い資料を3冊ほど抜き取り、早足で貸出カウンターへ向かっていった。
適当に選んだように見えるけど大丈夫かな…。





部活棟に続く廊下を、ボクたちは歩いていた。
左横に春香のぬくもりを感じる。
片手で持つには重いようで、本を胸の前に抱えている。
持とうかと提案したのだが大丈夫だと意地を張られた。
こうなったら春香は梃子でも動かない。
「レポート用?」
答えを半ば知りつつも聞いてみる。
春香はこっくりと深く頷いた。
「うん。化学で課題出されたの。でもややこしいテーマでさー。どれ借りたらいいのか分からなくなっちゃったんだよー」
首を落として大げさにうなだれて見せる。
思わず吹き出してしまう。

「…あのさ」
「ん?」
「春香……東京の大学行くって、本当なの?」
春香の足が、止まった。
夕日に照らされた彼女を窺う。
いつも朗らかな顔が俯いている。
春香らしくもない。
つまりこれは肯定の意。
春香。
そうか、そうなんだね。
ボクは認めたくないよ――
前に回り込み、その顔を見つめた。
「千早から聞いたんだ。でも、千早のことは責めないでやってほしい。
きっと、ボクらのことを思って話してくれたから」
千早なりの思いやり。
傷つくと分かっていてもいつかは知らなければならないのだ。
わずかな春香の首肯。
ボクの喉が緊張で音を鳴らす。
聞かなければならない大事なこと。
「できたら、理由を話してくれないかな?」

空は色を刻々と変えるのに。
外はあんなにも騒がしいのに。
まるでボクらの間だけ時が止まっているようだった。
春香の口が開かれる。
「……天文学部にね、入りたいの」
小刻みに震えていた。
声が、喉が。
必死に隠しているつもりだろうけど、ボクには分かった。
きっとボクにしか、分からなかった。
「ずっと天文に携わる仕事がしたくて。でもここら辺の大学じゃ、宇宙系の学部がどこにもないの。
でも見つけた大学なら、天文学部があるし、いとこの家も近いし。
多分、居候して通うことになると思う」
感情を無理やり押し殺した言葉だった。
表情は相変わらず読み取れない。


――どうして
いつも見上げていた星空。
僕と春香の距離を縮めてくれた星空。
それが今は
ボクと春香を、引き裂こうとしている。


「ごめん、今日の部活、休むね」
とうとう鼻声になりだした彼女は、早口で告げて去って行った。
何かから逃げるように。
ボクはただ遠ざかっていく彼女の長い影を目で追うだけだった。



心にぽっかりと空いた穴を、冷たい風がすり抜けていった。











続く