ちはやフォックス 其の弐

2話目できました。
話の都合上アイマス側は原作とは少し設定が異なっている部分があります。












如月千早
765プロ期待の星と呼ばれる彼女。
アイドルランクBにふさわしく765プロの現時点でのトップの知名度と人気を誇る。
クールな立ち振る舞いから氷の歌姫と称される。
他人にも厳しく、自分にも厳しい。
周囲の人々は口を揃えて「真面目な女の子」と言う。
そんな彼女が憑かれた怪異とは、いったい何なのか。



「なあ如月」
「喋りかけないでください。むしろ息をしないでください」
「…じゃあ僕はどうやって酸素を摂取したらいいんだ」
「あなたのような人は地球の貴重な酸素を奪わないでほしいですね。二酸化炭素を酸素に変える努力でもしたらどうですか」
彼女の本性だ。
プロデューサーや社長やファンの前では知らないが少なくとも僕の前では平然と毒を吐く。
青いジャージから普段着に着替えている。
目にはコンタクトレンズケース。
普段はコンタクトで瞳の色を隠しているようだ。
怪異に憑かれていることを告白され、どうしたんだと聞いた。
着替えてくるから外で待っててくれ、後で説明すると言われた。
缶コーヒーを飲みながら事務所前の階段で待っていたというのに。
会ってからずっとこの調子だ。
「第一、あなたの息はカメムシ臭いんですよ。阿良々木さん」
「やめろやめろ!それは下手するとゴキブリとか言われるより傷つく!」
カメムシではご不満ですか。ではこう言いなおしましょう。ダメ虫臭いですよ、阿良々木さん」
「何か自分が物凄く愚かな人間に思えてきた…」
と言うか、ダメ虫なんて虫存在しねえだろ。
「やっと気付きましたか。人類の進化より四十億年ほど遅れている阿良々木さんにしては大躍進ですね。褒めてあげます」
「僕は存在すらしていないことになるぞ!?」
ため息をついてしまう。
これでひとつ幸せが逃げた。
ぬるくなったコーヒーをすする。
冷めたコーヒーほどまずいものも珍しい。
「如月、お前誰にでもそうなのか?」
「誰とは?」
「例えば事務所の他のアイドル達とかさ」
「私が辛辣な口ぶりをすることは知っています。空気を読んでほとんどそういうことは言いませんが」
「僕と二人の時はいいのか」
「阿良々木さんには秘密を話してしまいましたから、他の秘密を晒しても問題はないと思いまして。但し他人には黙っていてほしいですが」
「僕は知りたくなかったけどな。まあ秘密は守るよ」
「ありがとうございます。では私も阿良々木さんが変態紳士と呼ばれると喜ぶ性癖を持っているというのは隠しておきましょう」
「そんなこと会話の隅にも挟んでないけどな!」
「あれ、大勢の前で変態と呼ばれるのがいいんでしたっけ?」
「言わないでくださいお願いします」
くそ、こいつと話すと普段の50倍くらい疲れる。
この感覚約一年ぶりくらいだからなあ。
戦場ヶ原が丸くなって以来か。
「ところでダメ虫さん」
「僕の名前は阿良々木だ」
「失礼、噛みました」
「どこをどう噛んだんだ!?」
しかし如月は言葉を返してこない。
流石に八九寺のように『噛みまみた』はないか。
普段と違うと背中が痒くなるものだ。
そんなことは意にも介さず如月は言う。
「阿良々木さんの憑かれている怪異って何なんですか?」
いきなり核心を突くなあ。
正直心臓のあたりが冷えた。
「そうだなあ。今現在憑かれてるってわけじゃないんだけど、まああえて言うなら吸血鬼かな」
「吸血鬼、ですか」
「ああ」
それから僕は一年前の春休みの出来事を話した。
あくまで大まかに。
その気になればいくらでも時間はかけられるがその必要はないだろう。
詳しく話したくもない。
一通り話し終えた後
「なるほど」
如月は頷いた。
実際怪異に憑かれているからかあっさりと呑み込んでくれた。
「しかしこの現代社会でよくそんなファンタジックな体験をしましたね」
「僕だって未だに信じられないよ」
夢であればどれだけいいか。
しかし現実は現実。
思わず足元の影を見下ろした。
もしかして『彼女』はこの会話を聞いているのだろうか。
今は活動時間帯外だから眠っている可能性のほうが高いか。
「…で、お前の怪異は何なんだ」
今度はこちらから仕掛けることにした。
如月の頬が強張った気がした。
心の中で葛藤が生まれている。
「話さないと力になれないぞ」
そもそも役に立つかどうかも分からないが。
「――三ヶ月前です」
たっぷり1分は黙った後、如月は口を開いた。
「両親が離婚しました。ずっと不仲だったので、私は肩身が狭かったんです。すっきりもしたけど、やっぱり悲しかった。その直後に現れたんです」
狐が。
如月はそう言った。
「とても小さい狐でした。片手に乗りそうなくらいの。私が驚いているとすぐに消えて見えなくなりました。」
翌日から、如月の目の色が変わったという。
「他に何か変わったことはないか?」
「変わったこと…。そうですね、危ない目にあったことは何度もあります」
「危ないこと?」
「はい。車に轢かれそうになったり、床が抜けたり。さっきのガラスとか」
「ああ…」
しかしそれは怪異の影響といえるのだろうか。
単に運が悪いだけなのではないか。
「何でもかんでも怪異のせいにしたくはないんですけどね」
如月が苦く笑う。
怪異に疲れているから疑心暗鬼になっているのかもしれない。
「どうして阿良々木さんは私に手を貸してくれるんですか」
やはりというか何というか、僕のことも完全には信用していないみたいだ。
「一度見たものは放っておけない性分でな」
いつもそうだった。
猫のときも蟹のときもその他のときも。
忍野には胸がむかつく、羽川には弱くて薄いと言われた僕の優しさ。
怪異に遭った自分なら何とかできるかもしれないと思うのは傲慢だろうか。
「俺の近くに怪異に詳しい奴がいるからさ、聞いておくよ」
「阿良々木さんの人脈ですか。あまり信用できませんね」
確かにそうだと自分でも思う。
立ち上がってコーヒー缶をダストシュートに投げ入れる。
「まあ、期待はしないでくれ」
「私は期待なんてしませんよ。空振りした時に残念に思わないように」
可愛くない女だ。











「管狐」
忍は言った。
ミスタードーナツゴールデンチョコレートを食べながら。
「それはまず間違いなく管狐じゃ。狐憑きの一種でな、この言葉ならお前様でも聞いたことはあるじゃろう」
狐。
哺乳綱ネコ目イヌ科キツネ属の動物の総称。
怪異としても狸や犬と並んで名高い。
「そりゃあな。九尾の狐とかだろ?」
「有名どころだとそんなところかの。九尾の狐と言えば怪異の中でも最高クラス故に人間に憑くのはまずありえんが」
口をせわしなく動かしながら喋っている。
その度にドーナツの屑がフローリングの床に毀れる。
汚ねえな。
500年生きてきた尊厳と品格はどこへ行った。
彼女の名前は忍野忍
一年前に僕を襲った吸血鬼――の、成れの果て。
僕が傷つけてしまったせいで、彼女は少女の姿になり、名を奪われ、吸血鬼の特性のほぼ全てを失った。
だから僕は罪を背負って、彼女と共に生きなければいけない。
…とシリアスぶってみても今この状況を第三者が見たらまず信じてもらえないだろう。
如月と別れた後事務所の近くのミスタードーナツに寄ってドーナツを5つほど買って帰った。
ちなみに住んでいるアパートは築20年の二階建て、家賃は4万円だ。
床に座ってから紙箱を持って影に呼びかけた。
全部やるから出てこないか、と。
すると忍はいとも簡単に、しかも目を輝かせて姿を現した。
ドーナツで釣られる吸血鬼とはこれいかに。
「狐に人間が憑依されるって話はいくらでも聞いたことがある。管狐ってのは初耳だけど」
「名前の由来は竹筒に入るほどに小さいかららしいの。それ以外外見は普通の狐と何ら変わりはせん」
僕が忍を呼んだのは怪異に関しての博識さ故である。
尤も忍がもとから知っていたのではない。
以前共に暮らしていた忍野という怪異に詳しい怪しいおっさんに昼夜問わずべらべらとありとあらゆる怪異について一方的に話されたのだ。
今彼女は記憶の引き出しを調べて僕に話してくれている。
「特性については他の狐憑きと同じじゃな」
「同じって?」
「とり憑いた人間を不幸にする」
大口を開けて最後の一口をたいらげた。
指に付いたチョコレートを舐め取る忍。
「如月とやらの両親は長い間不仲だったんじゃろう?」
「ああ。自分が小さい頃からそうなんだと」
「そうであろうな。管狐は元々あった歪みを増幅させる類の怪異じゃからな。そしてそれを触媒にして一族を没落させてゆく」
「その結果が両親の離婚か」
今の社会においては確かに没落の最終段階だ。
家族が崩壊して目的を終えた管狐は
如月千早個人にとり憑いた。
彼女を不幸にするために。
彼女を地獄の底に引きずり下ろすために。
ここ3カ月以内にあった小さな不幸は予兆だろう。
早めに気づいてよかった。
正体が分からないままだったら如月自身が壊れていたかもしれない。
袋から3つ目のドーナツを取り出し、忍に渡す。
「忍、管狐を如月から離す方法はないか」
豪快にハニーディップに齧りつく。
女の子なんだからもうちょっと上品に食べてくれないかな。
後で掃除機かけよう。
くぐもった声で忍が答える。
「基本的な策は狐祓いがある。文字通り憑き物を落とすためのな」
「教えてくれ」
「それはよいがの。気をつけるがよい、我が主人」
忍は牙を見せてシニカルに笑った。
「状況は案外難しいものかも知れんぞ」












忍の言葉は当たっていた。
翌日如月に問いただしてみたところ、かなり躊躇われたが口を開いてくれた。
「両親のいがみ合いは、弟が亡くなってからです」
さらに如月はその一端は自分にあると言った。
弟がいた頃はどこにでもある暖かい家庭だった。
如月も弟のことは可愛く思っていて、どこにでも連れて行った。
8年前までは。
ある日如月は弟を少しからかってやろうといたずらを思いついた。
姉弟で買い物に出かけた際、歩行者信号の青色が点滅し出したのを狙って走って渡ったのだ。
深い意図はなく、再び青色になったらちゃんと弟のところに戻ろうと思っていたらしい。
しかし弟は
姉を追って車道を飛び出した。
信号は赤だった。
「弟は私のせいで死んだと、思っていました」
握り締められた拳は、血が通わずに白くなっていた。
自分があんなことを考えなければとずっと自己嫌悪に陥っていた。
「でもそれも管狐のせいだったんですね」
管狐が如月家にとり憑いたから、家が不幸になった。
弟が死んだ。
「お願いします、阿良々木さん。狐を祓ってください…」
僕の裾を掴んで懇願する彼女の肩は、震えていた。
昨日の毒舌は完全に影を潜めている。
このまま彼女に管狐が憑いたままだと、また同じことが繰り返されるかもしれない。
大切な人がいなくなる。
失う悲しみをもう味あわせてやりたくない。
絶望も、後悔も。
「力は尽くす。でも期待しないでくれ」
如月の体を離した。
熱い。
「助かるかどうかはお前次第だ、如月」
僕に頼られる力があるかどうかなんて、分からない。
ただ、力にはなりたい。
そう思う。










続く