泣き虫雪歩はやさしい子

皆様、お久しぶりです!!
オリジナルを書き終え、戻って参りました。
実は18禁ものも書いてたのですがこちらには上げ辛かったので…;
気になる方はpixivで検索してくださいねw
さて、今回ははるゆきのお話です。
百合ではないですが、暇つぶしにでも読んでいただければと思います。
ではどうぞ!






「今回の合格者は3番と6番です。他の方は残念ながら不合格となります。またの挑戦をお待ちしています」
審査員長の言葉が、重石となって私の体を押しつぶした。
横から聞こえる喜びの声。
「あっちゃあ、不合格か。まあいいさ、雪歩。また頑張れば――」
プロデューサーの励ましも、真綿を噛ませたようにぼんやりとしか届かない。
ああ、まただ。
また私はダメだった。
気づけば会場を飛び出していた。
「雪歩!?」
プロデューサーの制止の声が聞こえたけど、枷にもならなかった。
迷路になっているテレビ局の廊下を掻い潜る。
無我夢中に、滅茶苦茶に。
1分も走ると、息が切れて足が止まった。
動きが止まると思考は冷静になる。
頭から見えない冷水をかけられたような錯覚に陥った。
苦手なダンスは徹底的にこなした。
自主レッスンもした。それでも合格は叶わなかった。
何がダメなんだろう。何が違うんだろう。
堰を切ったように涙が溢れてきた。
私の悪い癖だ。失敗を考え込むと泣き出してしまう。
泣くとまた気分が沈んで、そうやって負の連鎖が出来上がる。
なんて弱い人間なんだろう。
立っていられなくなり、その場に座り込む。
あとからあとから流れる雫を両手で受け止める。
それでも、指の隙間を縫って手首へと伝っていった。
泣いたからといってすっきりするわけじゃない。
後悔も疑問も洗い流されることはなく、ただ自己嫌悪が針となって体を突き刺すだけだった。
止める術はなかった。
息を殺すことが、私にできる最大限のことだった。





時間の感覚が無くなって来た頃
彼女は突然やってきた。
「――雪歩?」
鈴のようによく通る声が耳に届いた。
顔を上げる。涙で目の前が濡れていて、よく見えなかったけど、ひとつだけはっきりと目に映ったものがある。
二つの赤いリボン。
事務所でいつも見かける髪飾り。
それだけで誰か分かる。
「春香、ちゃん」
しゃがみこんで、私と同じ目線になる。
バッグを探ってハンカチを差し出してくれた。
多分ぐしゃぐしゃになっているのだろう私の顔を見て、大まかなことを察してくれたらしい。
私はありがたく受け取ることにした。
薄いピンク色。
淵に沿って愛らしい刺繍が施してある。
いい匂いがするな、とおぼろげに思った。
何故かまた涙が溢れてきて、柔らかな生地に顔を埋めた。
どうしたの、と春香ちゃんは聞いてこない。
ただずっとしゃがんだままで私を見つめている。
その視線は批難でも憐憫でもなくて、慈しみに満ちていた。
少なくとも私自身、そう肌で感じた。
だから安心して泣き続けられたのかもしれない。
長い長い嗚咽の後、ようやく私の涙は枯れ果てた。
喉を鳴らしても滴が落ちることはなくなった。
そこでようやく、春香ちゃんが口を開いた。
「大丈夫?」
水分のなくなった視界で見ると、春香ちゃんは声と同じで穏やかな表情をしていた。
うん、と答えようとして、私の喉は声ではなく掠れた空気を吐き出した。
長時間しゃくり上げていたせいだ。
やむを得ず首肯して意思を伝えた。
そっか、と春香ちゃんは笑みを覗かせた。
「じゃあ行こっか」
未だ力の入らない私の体を抱くようにして、春香ちゃんは立ち上がった。
確かに、いつまでもこんなところで泣いていては局の人たちに迷惑だ。
顔に泣いた痕のある人間と、それを支える女の子。
どう考えても奇異だったけど、誰も気に留めなかった。




どうにかして私たちは一階のロビーに辿り着いた。
私をベンチに座らせてから、ちょっと待っててねという言葉を残して春香ちゃんはどこかに行ってしまった。
ようやく息が落ち着いた私は、顔を上げて周りを見渡してみる。
目に留まるのはADさんなどのスタッフさんが多い。
たまにアナウンサーさんやテレビで見かける芸能人の方が横切る。
各々に忙しそうだけれど、どこか輝いているように見える。
自分の意志を貫いている強さ。
ふと目を泳がすと、とある女の子の姿を捉えた。
さあっと血の気が引いていく。
さっきのオーディションで合格した女の子だった。
嬉しさが体から滲み出ていて、今にも小躍りしそうだ。
プロデューサーらしき人が何か話しかけると、リンゴの頬から笑みが零れた。
行き場のない感情が心を埋め尽くす。
女の子がこちらを見た気がして、私は目を逸らした。
女の子は私の横を通り過ぎて、通路を通って行った。
どうやら気のせいだったみたい。
振り返ると長いツインテールが誇らしげに揺れていた。
あの子を恨んでなんてない。
オーディションの最中にも、あの子は全力で、アイドルの自分に胸を張っていた。
だから合格したのだろうし、それでいいと思う。
――こんな私は、アイドルには向いていないのかな。
「ごめん、お待たせ」
また底に落ちそうになった私を、春香ちゃんの声が引き上げた。
手にはスポーツドリンクのペットボトルが2本。
その一方を私に手渡してくれた。
「春香ちゃん……ありがとう」
水気を帯びた冷たさが心地いい。
蓋を開けて喉に落とすと、体を覆っていた疲れが剥がれ落ちていく気がした。
泣くという行為は意外と体力がいるものだから。
よほど喉が渇いていたのか、春香ちゃんは一息で中身の半分ほどを流し込んでしまった。
そういえば今日はバラエティの収録だって言ってたっけ。
何か体を使うようなことをしたのかな。
爽快な息を吐き出してから、春香ちゃんは私を見やった。
「落ち着いた?」
「……うん、だいぶ」
気分はそんなに回復していないけど、少なくとも体は、春香ちゃんのおかげで良好へと向かっている。
春香ちゃんになら言える。
私はおもむろに息を吸うと、言葉を放った。
「オーディション、また落ちちゃった」
声は震えていたと思う。春香ちゃんは何も言わなかった。
それが却って私には嬉しかった。
慰めの言葉は時に人を傷つける凶器になる。
ぽつりぽつりと、言葉をその場に落としていく。
「これで五回連続なんだ。レッスンも営業もダメダメで……」
いつも何かしら失敗をしてしまう。
プロデューサーは気にするなと言ってくれるけど、私は自分が許せなかった。
そして何より
「上達しないことも、実力が出せないのも嫌だけど、すぐ泣いちゃうのが嫌なの。泣き虫な私が嫌い」
小さい頃からいつもそうだった。
悲しいことがあったら泣いて。
何かに躓いたら泣いて。
泣く度に自分が嫌になっていくのに、涙は止められなかった。
そしてまた泣いて嫌いになる。
「自分が嫌いなんて言っちゃダメだよ、雪歩」
驚いて視線を投げると、春香ちゃんが見つめていた。
瞳の奥には熱が揺らめいていて、それが私に口を開くことを許さなかった。
少しの沈黙の後、ごめんねと春香ちゃんが零した。
どうして謝るのか私には分からなかった。
「私は、雪歩がちょっぴり羨ましいよ」
春香ちゃんの言葉に耳を疑った。
言われたことも考えたこともなかった言葉だった。
「どうして?」
私の問いに、春香ちゃんはほんの少し苦く笑った。
「私は泣くことって、そんなに多くないから」
確かに、春香ちゃんが泣いているところは見たことが無い。
私が見ていないだけで、陰では泣いているのかもしれないけれど。
でもそれって強い証拠じゃないのかな。
ぐるぐると思考を巡らす私に、春香ちゃんは問いかける。
「泣いてるとき、どんな気持ち?」
感情が、フラッシュバックのように鮮やかに蘇る。
思い出したくもない。
でも思い出せないと前に進めない。
息苦しさを感じながら私は答える。
「悲しくて……でもそれ以上に悔しくて、自分が情けなくなる、かな」
うんうんと頷きながら聞き入っていた春香ちゃんが、こう言う。
「そういう感情って、必要なんだと思うよ。涙って勝手に流れるものじゃないから。悲しいとか悔しいとか、そういう感情が溢れたものが涙なんだって、私は思うな」
私は黙って春香ちゃんの言葉を聞いていた。
一言一句が、水のように心にしみわたっていく。
そうなんだ。
確かに私は、泣いているとき悔しくて悲しくて堪らない。
受け止めきれなくなった感情が涙そのもの、なのかな。
春香ちゃんはなおも続ける。
「それに、泣ける人は泣くことの痛みを知ってる。辛さを知ってる。だから優しくなれるんだよね」
すっと、私の視界を何かが遮った。
何かに引き寄せられる間隔。
どこか安心する甘い香り。
私はようやく理解する。
春香ちゃんが私を抱きしめてくれていた。
「優しいね、雪歩は。優しい人はその優しさの分だけ、強いんだよ」
絞り出すようにまた涙が滲んで来た。
自分の中にこんなに水分があるなんて、びっくり。
「私は、優しくて強い雪歩が大好き」
鼻の奥が痛んだ。自制心で何とか涙腺の蛇口を閉める。
信じていいのかな。
こんな私にも取り柄があるって。
ねえ。
 ゆっくりと春香ちゃんの腕を解く。瞳を合わせると、光が私に微笑みかけていた。
「春香ちゃん」
「ん」
「私、頑張る。また泣いちゃうかもしれないけど、もう負けない。勝つまで負けないよ」
私は強くなんてない。
でも背中を押してくれる誰かがいるなら、ほんの少しでも頑張れる気がする。
小指を差し出した。
指切り。
子どもみたいな約束のしるし。
「その意気だよ、雪歩」
春香ちゃんはそう笑って、小指を絡めてくれた。
ぬくもりを通して春香ちゃんの強さが伝わってくるようだった。
大丈夫。これからは、きっと。





そして今
私は事務所に続く階段を駆け上がっている。
あの時と一緒で、息が切れて足が重い。
でも立ち止まったりはしない。
伝えたいことがあるから。
喜んでほしいから。
アルミの軽いドアをこじ開ける。
私にしてはとても大胆だったと思う。
「春香ちゃん!」
名前を呼ぶと、当人はソファから小さく飛び上がった。
本を読んでいたらしい。
目を丸くして私を見つめる。
「どうしたの、雪歩」
会場から事務所まで全力疾走してきたから、もう呼吸もままならない。
途切れ途切れに私は言葉を繋ぐ。
「わ、私……受かったよ!オーディションに、受かったんだよ!!」
途端、春香ちゃんの表情が花開いた。
「ホントに!?良かったぁ、雪歩!!」
激しい効果音と共に思い切り抱きついてくる。
ちょっと苦しいくらいの抱擁。
春香ちゃんは向日葵のような笑顔で、繰り返しおめでとうと言ってくれた。
私、受かったら真っ先に春香ちゃんに報告しようって決めてたんだよ。
だって春香ちゃんのおかげだもの。
涙を肯定してくれたから。
こんな私を受け入れてくれたから。



ありがとう、春香ちゃん。
ずっとずっと、泣き虫な私を見守っててね。